そのひぐらしのナマケモノ。

いつも、むしゃむしゃ。ときどき、むしゃくしゃ。

空飛ぶ商人の息子と小さなスプーンおばさんと

つくづく人に恵まれているなあと思う。余裕がない時、つらい時、心の広い我が友人たちにいつも支えられてきた。

 

一方で、不思議なことに、こんなこともある。ものすごく苦しい時、一人ぼっちで「なんて世知辛い世の中なんだ」ってもがいているとき、通りすがりの赤の他人に心救われること。世の中の偶然と、偶然触れたその優しさを感じるとき、世界がぱっと輝いてみえる、そんな経験、ないだろうか。赤の他人が通りすがりに自分の心に巻き起こす、優しさの渦巻きみたいなもの、これこそ奇跡っていうものだと思っている。

 

去年の冬、私は東南アジアのとある国の、なにもない田舎にいた。言葉もよくわからず、生活習慣も全く違うところでの数か月間、最初は楽しく過ごしていたものの、だんだん募るやり場のない孤独と何かに対する焦燥感で、もういっぱいいっぱいになっていた時期があった。

 

日本生まれ、温室育ちの私にとって、ガスも水道ももちろん風呂もない生活はハードルが高かった。それに加え、私が住んでいたところは周りを木々に囲まれた自然豊かな場所だったのだが、本当に「自然豊か」とはなんと恐ろしいことか、と思い知ったのはそのころだった。とにかく一度都会に出なければ心を病んでしまうと思い、大急ぎで荷物をまとめ、首都に向かったのであった。

 

高速バスで6時間。首都に出た私はゲストハウスに併設されているカフェで一人で日記をつけていた。カフェはいろんな国の人で混みあっていた。「田舎恐怖症」に陥っていた私は、首都の喧騒の中に身を置くことでこんなに心落ち着くと思う日が来るなんて思わなかった、と考えながらぼんやりしていた。

 

「ここ、座ってもいい?」

顔を挙げると、ひげもじゃらのバックパックを背負ったおじさんがいた。

「もちろん。」すこし椅子を引いてテーブルの向かい側に座らせてあげた。

 

普段から自分から人とそんなに話をするほうではない。静かに日記を書き続けていたのだが、ひげもじゃらおじさんは構わず話始めた。聞くところによるとおじさんはデンマーク人で、バスの運転手をしているらしい。デンマークの冬は雪がたくさんふるので、冬の間、そのおじさんは世界中を旅してまわっているらしかった。

「この前はトルコに行ってねえ…」

そんな話をしながらおじさんはとても楽しそうだった。

 

デンマークといって私が一番に思い浮かぶのは、デンマークが生んだハンス・クリスチャン・アンデルセンの、アンデルセン童話だ。「親指姫」とか、「人魚姫」の、アンデルセン、ね。子供のころ、私はアンデルセンの世界に夢中になった。その中にたしかこんな話があった気がする。

 

あるところに大金持ちの商人がいました。商人が死んだあと、その息子は残された金を全部使い果たしてしまいました。途方に暮れていた息子に、古ぼけたトランクを知人がくれましたが、なにしろ持ち物が何もなくて入れるものがなかったものだから、息子は自分がトランクに入ってみたのです。するとそのトランクは空飛ぶトランクで、トルコのお城の一番上の部屋で監禁されているお姫様のところにたどり着きました。商人は塔の上に通い詰めてお姫様に得意のお話を聞かせ、喜ばせて結婚することになりました。結婚式の日に、国民やお姫様を喜ばせるためにトランクにたくさんの花火を入れて、空を飛ぶと、それはもうとてもとても盛り上がって大成功だったのですが、そのあとトランクは燃え尽きてしまって、二度とお姫様のところにはいけなくなってしまいました。その後お姫様はお城で待ち続け、商人は世界中でお話をしてまわっているそうです。

 

目の前で楽しそうにトルコ旅行の話をするデンマーク人を眺めながら「もしかしたらこの人…!」なんていう妄想を張り巡らせてしまった。なんだかとてもわくわくした。

 

他にはこんなこともあった。同じカフェで日記を書いていた時、ノルウェー人に声をかけられた。そのノルウェー人は、環境保護活動家で、ノルウェーの自然がいかに美しいかについて語ってくれた。

 

ノルウェーで思い出すのはアルフ・プリョイセンの小さなスプーンおばさんの物語。スプーンおばさんは普通のおばさんなんだけど、時々急にティースプーンサイズに小さくなってしまうのだ。小さくなると動物とお話ができるようになる、そんなかわいらしいおばさんがノルウェーにはいるのだ。ノルウェーの自然がどれだけきれいかっていう話をしながらノルウェー人のおじさんが見せてくれる写真の中に、私は小さなおばさんを想像していた。

 

デンマーク人もノルウェー人も、私が初めて出会ったデンマーク人であり、ノルウェー人だった。そして私は初めてであったデンマーク人が、バスの運転手で年の半分は世界中を旅行し、この前トルコに行った「そのおじさん」で本当に良かったし、初めてであったノルウェー人が自然が大好きで写真をたくさん見せてくれる「そのおじさん」でよかったと思った。だって私が子供のころお話の中でとてつもなくわくわくし、夢みた世界観にピッタリ当てはまる人たちだったから。

 

子供のころわくわくしていた世界と、私が今生きている世界、本当は全然変わらないのかもしれない。もしかしたら目の前のデンマーク人はお姫様に二度と会えなくなってしまった商人の息子かもしれないし、ノルウェーの自然の中にはティースプーンサイズのおばさんが隠れているかもしれない。そんなことをふと思ったとき、なんだか急に世界がわくわくに満ちているきがしたんだ。

 

世界は広くて行ったことがない場所がたくさんあって、でも目の前に現れた遠い国の人たちと私が愛する物語たちが、世界ってホントは狭くて優しくてわくわくしてるんだって思わせてくれた。だから私はあの時頑張れた。

 

もし、世界の片隅でうじうじしている誰かに出会ったとき、

あの時あそこで通りすがった日本人が「あの日本人」でよかったなぁ

って思ってもらえるような日本人でいられるだろうか。